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第1回 日本橋 〜 品川宿

前半


■今回の道程 (約10q) (私の万歩計約19,500歩)
日本橋(日本国道路元標・高札場跡・魚河岸跡)〜安藤広重旧居跡〜京橋(江戸歌舞伎発祥の地)〜旧京橋擬宝珠〜銀座発祥の地〜芝大神宮(だらだら祭りで有名)〜増上寺(徳川家菩提寺)〜金杉橋〜勝海舟・西郷隆盛会見の地碑(薩摩藩屋敷跡)〜札の辻〜高輪大木戸跡〜泉岳寺(赤穂城主浅野氏菩提所・四十七士の墓)〜JR品川駅

〜 前 半 〜
日本橋(日本国道路元標・高札場跡・魚河岸跡)〜安藤広重旧居跡〜京橋(江戸歌舞伎発祥の地)〜旧京橋擬宝珠〜銀座発祥の地〜芝大神宮(だらだら祭りで有名)〜増上寺(徳川家菩提寺)〜金杉橋〜








日本橋
東海道の起点(5街道の起点)。高架は首都高速道路で、下が日本橋




■新旧の日本国道路元標



旧・道路元標






新・道路元標(複製)
当時の総理大臣佐藤栄作の筆によるもの




  

起点よりの距離が記された里程標




    

高架の下、ここが起点
 現在の道路元標はこの道路面に埋め込まれています。左右の写真は日本橋の橋銘板で、第十五代将軍徳川慶喜の筆によるものです。






日本橋の袂にある道路元標・里程標と背景の日本橋三越








日本橋をスタート






高札場跡と刑場(晒し場)跡
 高札場跡には「日本橋由来記」が掲げられています。また、刑場(晒し場)跡は「滝の広場」になっており、凹形をして石積みの壁面に水が流れ落ちていて往時の暗い影は見られません。

  


 

高札場跡(上2枚) と 刑場跡(下)








刑場跡隣接に、上部が船形をしたビル







 

日本の中心、日本橋






日本橋高島屋前






  

「ヤン・ヨーステン」の記念碑
 八重洲という地名の由来になったヤン・ヨーステンの記念碑が八重洲通りの中央分離帯の中にあります。
 写真 左:東京駅前八重洲通り 右:肖像と帆船が刻まれた碑






 

浮世絵師・安藤広重住居跡
 江戸時代末期の浮世絵師安藤(歌川)広重(1797〜1858)が、寛永2年(1849)から死去までのおよそ10年間を過ごした住居跡です。






歩道に設置されている解説板(一部)

 

 










心和む歩道の花壇








横断歩道を渡る








「江戸歌舞伎発祥の地」の碑
 江戸歌舞伎は、上方歌舞伎役者猿若(中村)勘三郎が寛永元年(1624)に中橋南地(京橋川の南側)に猿若座(のちの中村座)の芝居櫓をあげたのが始まりといわれています。






 

「京橋大根河岸青物市場跡」の碑
 寛文4年(1664)に 京橋川の便もよいこの地に野菜を商う市ができました。この青物市場は大根の入荷がとても多かったため、俗に大根河岸といわれていました。この大根河岸市場は駒込市場、神田多町の青果市場と共に江戸で重要な青物市場でした。








警察博物館








高速道路とビルに埋もれる、旧京橋の擬宝珠
(中央の尖っているもの)






旧京橋の擬宝珠の上部






擬宝珠を模したモダンな交番








「銀座発祥の地」の碑
 慶長17年(1612)に徳川幕府はここに銀貨幣鋳造の銀座役所を設置しました。当時は新両替町が町名でしたが、人々の間では銀座町といわれていました。








銀座松坂屋前




 

「銀座の柳」の碑
 若葉輝く柳の横に、「昔恋しい銀座の柳・・・」で知られる西条八十作詩、中山晋平作曲による「銀座の柳」の譜面が刻まれた碑があります。現在の柳は二世です。








JR新橋駅近くで






旧新橋駅停車場
  「汽笛一声新橋をはや我(わが)汽車は離れたり」
 この昔懐かしい鉄道唱歌は、明治33年5月に鉄道唱歌第1集として発行されました。明治5年に開業した新橋駅は大正3年の東京駅の開業までは東海道本線の起点でした。
 旧新橋駅跡は国の史跡となり、開業当時の駅舎を再現した「旧新橋駅停車場」が建設されました。二階建ての建物の中には鉄道の歴史に関する展示室が設けられています。建物の裏側には、鉄道の起点となった「0哩標」が当時の位置に再現、設置され、当時のレールが10メートルほど敷かれています。
 「鉄道の日」は明治5年10月14日の鉄道開業日を記念して設けられました。


   

左:正面玄関  右:正面側全景



  




 

左:ホームと線路   右:起点を示す0哩標




 

昼食に敷地内にある汐留シティセンター・ビルへ向かう







昼食です・・・




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