第3回 川崎宿〜神奈川宿 A
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2006-04-29
第3回 川崎宿〜神奈川宿

≪後半≫


■今回の道程 (約10q) (私の万歩計約26,200歩)
JR川崎駅・・稲毛神社・・砂子交差点〜佐藤本陣跡〜小土呂橋〜芭蕉句碑〜八丁畷〜熊野神社〜市場一里塚〜鶴見橋関門跡〜生麦魚河岸通り〜キリンビアビレッジ(昼食)〜生麦事件の跡碑オランダ領事館跡高札場跡
〜 後 半 〜
 キリンビアビレッジ(昼食)〜生麦事件の跡碑オランダ領事館跡札場跡






  

散策を楽しめるキリンビアビレッジ






生麦事件の跡
 旧東海道が京浜第一国道と合流した先に生麦事件を伝える碑がありました。
 朝廷は幕府に攘夷断行を求め、江戸に赴く大原勅使の護衛として薩摩の島津久光が同行し、その帰途、文久二年八月二十一日(西暦一八六二年九月十四日)午後二時、行列を横切ろうとしたイギリス人一行を生麦で殺傷しました。この事件を土地に因んで生麦事件といい、薩英戦争の契機となりました。
 明治十六年、鶴見の人、黒川荘三が中村敬宇の撰文を得てイギリス商人リチャードソン落命の地に、遭難の碑を私費で建立したものです。
(説明板より引用)





   

生麦事件の碑

















入江橋交差点(子安通一丁目歩道橋)









長延寺土居跡
 神奈川宿の江戸方入口にあたる長延寺前には土居を互い違いに突き出した枡形がありました。街道の両側に高さ2.5メートル前後の土居が築かれました。その土居の上には竹矢来が設けられていました。






長延寺跡(オランダ領事館跡)
 この地には寛永8(1631)年から祥和40年までの330年余、浄土真宗長延寺がありました。横浜開港当時はオランダ領事館となりました。昭和40年の国道拡幅による区画整理対象地域になり長延寺は移転となりました。跡地は神奈川通東公園となり、今では「オランダ領事館跡」を表わす石碑があるだとなっています。







   

笠のぎ稲荷神社
 古来より「笠のぎ稲荷さん」にお参りすると、性病・婦人病が平癒するという言い伝えがあります。病気にかかった女性は、土団子を作って神前にお供えします。お百度を踏んで祈願を続け、病気が治ったらと粢団子を作って神前にお供えして「お礼参り」をする習慣が今日でも残っているそうです。ご神木は社殿左手にある「夫婦和合」の大銀杏です。 







能満寺
 宗派は真言宗智山派です。1299(正安元)年、この地の漁師が海中より霊像を拾い上げました。ある日漁師の娘に託して言う霊像の言葉にしたがって建立しました。これが能満寺という言い伝えがあります。能満寺は神明宮の別当寺でした。
 同一境内地に神明宮もありましたが、神仏分離令により分かれました。今も、神明宮は道路一つ挟んだ隣接地にあります。








門前の松尾芭蕉句碑











高札場跡 
  高札場は神奈川警察署西側付近にあったといわれています。復元したものは近くの神奈川地区センター前にあります。







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