境内の山の中腹には「富士の人穴」という穴があり、富士山の山麓まで繋がっているという伝説があります。源頼朝の命で仁田四郎忠常が奥深くまで探索したと言い伝えられています。 |
八王子道は、ここより帷子川にそって伸び、町田・八王子へと続く道で、安政六年(一八五九)の横浜開港以後は八王子方面から横浜へと絹が運ばれるようになり、「絹の道」とも呼ばれています。 追分は一般に道の分岐点を意味しますが、ここ芝生(しぼう)の追分は東海道と八王子道が分かれる。 (案内道標より引用) |
境内には社殿、神楽殿などのほかに神奈川県では最も古い青面金剛像を祀ってある祠があります。また、江戸より寄進された石盥盤、神事に使われていたという力石 3個が置いてあります。 |
1956(昭和31)年3月に、帷子川の流れがそれまでの相模鉄道線天王町駅 南側から北側に付け替えられたのに伴い、帷子橋の位置も変わりました。 かつての帷子橋の跡地は、現在の天王町駅前公園の一部にあります。 |
人形は「ひとがた」と読みます。人形流しは、知らず知らずの内に犯した罪や、積もり積もった心身のけがれを取り除くための儀式で、この清流は境内の地下70メートルから汲み上げた井戸水を流しています。 |
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