第7回・今回の行程 約10q 万歩計 約21890歩 清浄光寺(通称「遊行寺」〜藤沢・高札場〜蒔田本陣跡〜常光寺(野口 米次郎の墓)〜永勝寺(飯盛女の墓)〜義経首洗井戸(義経の首を洗い清 めたという)〜引地橋〜養命寺〜おしゃれ地蔵〜(昼食、寿司屋で)〜大 山道道標〜一里塚〜二つ家稲荷神社〜松並木〜海前寺(茅ヶ崎城主の 菩提寺)〜松並木〜一里塚 〜海前寺(茅ヶ崎城主の菩提寺)〜松並木〜一里塚 |
日本橋から13番目の一里塚があったところです。東海道も四谷から二 ツ屋を過ぎるとすぐに茅ヶ崎市に入ります。この辺りが藤沢宿の入り口か らちょうど一里です。かつては両側に一里塚があったといわれます。 |
二ツ家稲荷は二ツ家近在の鎮守社でしたので、地元では諏訪神社とも呼ばれています。昭和18年、海軍衣料廠の拡張によりこの地に移転しました。道路に面した境内の一角に庚申塔があり、近年整備保存されています。 |
曹洞宗 海前寺。 藤沢市内にある宗賢院の史料によると1591(天正19)年の創建といわれます。茅ヶ崎村領主で旗本の丸毛権之蒸の菩提寺でもあります。 |
茅ヶ崎一里塚 昭和三十六年八月十五日 茅ヶ崎市史跡指定 徳川幕府は関ヶ原の戦いの翌年、慶長六年(一六〇一)、東海道に伝馬の制を制定し以後江戸を中心とした交通網の整備にとりかかりました。 慶長九年(一六〇四)、徳川幕府は東海道などの1里(約一キロ)ごとに塚を築き、旅人の目安にしました。 東海道は江戸の日本橋を起点にしています。茅ヶ崎の塚は日本橋から十四番目にあたります。かつては道の両側にありました。 (碑文より引用) |
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