第12回三枚橋−箱根関所跡【箱根宿】−2
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2007-06-09
第12回 三枚橋 − 箱根関所跡【箱根宿】

【後 半】


  行程 約11キロ  私の万歩計 約12300歩
三枚橋 〜 早雲寺 〜 正眼寺 〜 一里塚跡(江戸から22番目) 〜 鎖曇寺 〜 女転がし坂 〜 箱根石畳入口 〜 畑宿一里塚跡(江戸から23番目) 〜 甘酒茶屋 〜 杉並木 〜 箱根旧街道一里塚跡(江戸から24番目) 〜 箱根関所跡

【後 半】
畑宿一里塚跡(江戸から23番目) 〜 甘酒茶屋 〜 杉並木 〜 箱根旧街道一里塚跡(江戸から24番目) 〜 箱根関所跡








左端の小道が旧東海道。右端の道が新道として戦前戦後活躍した東海道 (3枚合成)




■畑宿一里塚跡 (はたじゅくいちりづかあと)
 江戸日本橋から23番目の一里塚です。
 箱根旧街道畑宿の石畳入口にあります。1998(平成10)年、発掘調査が行われました。その結果を基にして塚が復元されました。平成の塚は高さ約10メートル、直径約4.5メートルです。








一里塚碑










下をクリックすると道中の風景などが見られます
箱根の山路・2













箱根旧街道資料館





歌碑



  

甘酒茶屋の碑



■甘酒茶屋 (あまざけちゃや)
 往時に多くの茶店が建ち並らび賑わいをみせていましたが、幕府政治の崩壊とともに寂れてしまいました。この茶屋は江戸時代から約300年、12代にわたり暖簾を守り続いています。今は観光客が四季を問わず訪れ賑わっているようです。
 また赤穂浪士の神崎与五郎がこの茶屋で馬喰の丑五郎に難癖をつけられたが、主君の仇討ち前のため喧嘩を我慢して詫び証文を書いたといわれています。
   





天下一品の風景・・・








下をクリックすると道中の風景などが見られます
箱根の山路・3





元箱根に着く





ケンペル・バーニーの碑













「元箱根」信号





道路を跨ぐ箱根神社の大鳥居









賽の河原



■箱根旧街道一里塚
 江戸日本橋より24番目の一里塚です。
 一里塚跡には「箱根旧街道一里塚」の石柱が建つだけです。








■杉並木 (すぎなみき)
 この杉並木は、1618(元和4)年、箱根宿が開設されたときに川越藩主・松平正綱が植えたといわれていました。近年の枯死杉の年輪からこれより数十年遅い1600年代半ば頃に植えられたものであることがわかりました。それにしても300年以上の歳月を経た大杉が400本以上もそびえ立つ風景には圧倒されます。往時はこの数倍の数といわれています。
1904(明治37)年に箱根湯本-芦ノ湖に新道建設が行われたときに工事資金の不足のため1000本以上の杉・松が伐採されたという記録が残されています。この杉並木の7割前後が枯死の恐れがあるといわれ、地元箱根町を中心に保護活動がおこなわれています。


「旧東海道 箱根杉並木」の碑



  



  






■箱根関所跡 (はこねせきしょあと)
 東海道の二大関所といわれたのが新居の関所とこの箱根の関所です。
 箱根関所は、暗殺・謀反に使われる恐れのある鉄砲・刀などが江戸へ流入するのを防ぐ「鉄砲改め」と諸国大名が人質として江戸屋敷に留め置かされた妻女が領国へ逃げ帰るのを防ぐ「女改め」を行うことを目的に設置されました。
 後年、徳川幕府による諸国支配が強固なものになり安定するに従い武器流入取り締まりは簡略化して1633(寛永10)年からは主に「女改め」の取り締まりにと変わりました。
 徳川幕府の崩壊で関所は無用の役目となり、1869(明治2)年に廃止となりました。現在は国の史跡として指定されています。
 なお、8年の歳月をかけて復元工事が行われた箱根関所は、江戸口御門の完成を皮切りに杉並木に続く道なども整備され、2007(平成19)年春に完成します。400年を経た今日、往時を偲ばせる「江戸時代の箱根関所」を見ることができます。








  






■芦ノ湖












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