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行程 --km 私の万歩計 --,---歩 〜三嶋大社(源頼朝ゆかりの伊豆の一の宮)〜問屋場跡〜円明寺〜本陣跡〜時の鐘〜伊豆國分寺跡〜千貫樋〜伏見一里塚〜八幡神社(源頼朝と義経の対面石)〜潮音禅寺(曾我兄弟の仇討ち物語に登場する亀鶴姫の碑)〜傍示杭(沼津藩東限)〜平作地蔵〜沼津一里塚 |
境内には「源頼朝旗揚げの碑」があります。1180(治承4)年8月17日、源頼朝は三嶋大社に戦勝祈願をし八牧判官兼隆を夜討したといわれます。 また松尾芭蕉が1694(元禄7)年5月最後となった旅で詠んだ句が刻まれた句碑、若山牧水の歌碑があります。 |
拝殿 本殿 |
![]() | ![]() 源頼朝 北条政子腰掛石 治承四年五月源頼朝が平家追討の心願を込めて百日の日参をした折 腰を掛けて休息したと伝えられる 右側は北條政子の腰掛けた石である 写真左:源頼朝の立像 |
芭蕉句碑 どむみりと 楝や 雨の 花曇り 楝とは[せんだん]の事で元禄七年(1694)五月十四日三嶋明神に参詣した芭蕉は雨空に神池の辺りせんだんの花の群を仰いで江戸に残してきた病床の妻「すて」の身を案じて詠んだ句である (説明板より引用) |
若山牧水の歌碑 のすえなる 三島のまちのあげ花火 月夜のそらに 散りて消ゆなり 若山牧水は吸収宮崎県に生まれ大正九年(1920)三島市の西隣りの沼津市香貫に住み八月十五日に行われた三嶋大社の夏祭りの花火を見てこの歌を詠んだ (説明板より引用) |
街道を行くと右側に中央町郵便局があります。建物の脇の道に入ったところに問屋場跡を示す石柱と説明板があります。 問屋場は今の三島市役所中央町別館辺りにありました。 |
この門は、江戸時代に諸大名が三島宿宿泊する際に、泊まるよう指定されていた宿である旧樋口本陣の表門が円明寺に移築されてきたものと伝えられている。 (以下省略・説明板より引用) |
浄土宗長圓寺。 この門は、江戸時代に諸大名が三島宿に宿泊する際に、泊まるよう指定されていた宿である旧世古本陣の表門が長円寺に移築されてきたものと伝えられています。 |
京に向かって街道の左側に樋口本陣、近くの右側に世古本陣がありました。 |
左:樋口本陣跡の説明板です。 右:この辺りに世古本陣があったようです |
なお湧水群を活かした旧小松宮別邸の回遊式庭園、楽寿園(天然記念物)は名庭園として知られています。 |
時の鐘は源兵衛橋の袂にある三石神社境内に建っています。 江戸時代には宿場の人々に「明け六つ」、「暮れ六つ」の時を知らせていました。今の梵鐘は太平洋戦争後に造られたもので、昭和30年頃まで朝の六時と夕方の六時に鐘は突かれていたようです。 |
境内には日限地蔵尊、「芭蕉老翁墓」の碑、句碑などが建っています。 |
三島広小路駅を過ぎて街道から右に200メートルほど入ったところにあります。山門には「伊豆國分寺」の銘の札がつけられています。本堂裏手の一角が整備され、國分寺の建物のいくつかの大きな礎石が並び「伊豆國分寺塔址」の碑が建っています。 |
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